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昭和の東京風景が心に響く。山高登作品の魅力と91歳で写真家デビュー … – HOME’S PRESS(ホームズプレス)

数多くの作家、画家と仕事。独学で画家に

山高登氏は大正15年に新宿の十二社(じゅうにそう)で生まれた生粋の江戸っ子。祖父、山高信離(のぶあきら)氏は幕末に渋沢栄一らとパリ万博に赴き、帰国後は日本美術の保護展示、博覧会・博物館行政などに多大な貢献があったという人物。さらに父、山高五郎氏は大正時代に造船技師として軍艦土佐、客船氷川丸などの多くの船の電気艤装設計に携わるとともに、現在、船の科学館に展示されている、多くの船舶の油彩画を残したという。代々、美術に造詣の深い家族だったのだろう。

戦後すぐに作家山本有三氏の紹介で新潮社に入社。その後、52歳で早期退職するまで志賀直哉、井伏鱒二、宇野千代、林芙美子、内田百閒など錚々たる作家、そして谷内六郎、香月泰男、東山魁夷などの画家を担当した。その編集者時代、趣味で彫っていた版画年賀状が童謡「たきび」の作詞で知られる巽聖歌の目に留まり、ポプラ社の新見南吉、小泉八雲らの子ども向けの全集の挿絵を手掛けることに。これがきっかけになり、編集のみならず、装丁、挿絵など幅広い業務を手掛けた。退職後は画家として書票(蔵書に添付、所有者を示すもの)、装丁、木版画制作を手掛けてきたが、高齢になるに従い、往年のファンも半分以上が亡くなり、本人も「自分の時代は終わった」と口にするように。

かつて新宿十二社には池があり、観光名所だった。昭和30年代に埋め立てられ、十二社温泉に。 /作:山高登氏かつて新宿十二社には池があり、観光名所だった。昭和30年代に埋め立てられ、十二社温泉に。 /作:山高登氏

作品に感動したファンが応援、展覧会、書籍に

それを再度世に出したのは山高氏の生まれた地にほど近い場所に住む伊藤芳子氏。5年ほどまえ、府中市美術館で浅草の劇場街を描いた「霜月の六区」という作品に感動、画廊で版画を購入し、感動を手紙で伝えたところ、返信があり、付き合いがスタート。もっと多くの人に見て欲しいと、ひとり応援団として展覧会の企画をし、書籍出版に奔走。その甲斐あって、2017年5月に新宿で開かれた3度目の展覧会は新聞、テレビでも取り上げられ、話題になった。

聞くと山高氏は子ども雑誌や早逝した親友のための追悼本の仕事などは無償で引き受けていたそうで、その無私の精神が回りまわって、氏を応援する人に繋がったのかもしれないと思うと、人の世の不思議を感じる。

当初は版画作品が注目されたが、山高氏は版画を書くためにと、同時に写真も多数撮影していた。2017年に出版された書籍「東京の編集者」(夏葉社)でそれが掲載されたこともあり、今回の展覧会では写真も展示。91歳にして写真家デビューということになった。

昭和33年の日本橋。まだ首都高速道路の姿はなく、橋全体がきれいに見えている。 /撮影:山高登氏昭和33年の日本橋。まだ首都高速道路の姿はなく、橋全体がきれいに見えている。 /撮影:山高登氏

老若男女に響く、昭和の東京

5月に新宿区の後援を得て開いた展覧会では老若男女、有名、無名も含めて様々な人が訪れた。企画時には団塊の世代より上の、昔を懐かしむ人が多いことを想定したものの、歌舞伎町という場所で、しかも無料で立ち寄れることもあって、意外に若い人が多かったと伊藤氏。

「ストリート系の20代男性が『昭和っていい時代だったんだな』『なんか、温かい気持ちになるよな』などと言いながら見て回っているのを見て、胸が熱くなったことも。中には『これが日本?』と驚き、『アジアのどこかかと思った』という人も。それだけ、東京、日本が大きく変わったということですね」

もちろん、懐かしんで来た人も多かった。「その昔の本郷の惣菜店の写真に『子どもの頃、ここに買い物に行っていました』」という人が現れたり、『この絵に描かれているのは昔の我が家です』」という人が来場したりと当時を知っている年代の人たちには何度も話しかけられました。もう残っておらず、ここでしか見られない風景もたくさんあるのでしょうね」

本郷の惣菜店。遊んでいる子どもたちの姿も今とはだいぶ違う。 /撮影:山高登氏本郷の惣菜店。遊んでいる子どもたちの姿も今とはだいぶ違う。 /撮影:山高登氏

大きく変わった湾岸、下町

東京は昭和30年代以降、オリンピック、高度経済成長を経て、大きく変貌していく。山高氏はちょうど、その頃に自分が生まれたまち東京をほとんど知らないことに気づき、地図を片手に東京を隅から隅まで歩き回り、写真で、木版画で記録しようと思い立ったという。それが現在、私達が見ている作品なわけだが、眺めてみて気づくことがある。当然だが、大きく変わったところとあまり、変わっていないところである。

大きく変わったのは湾岸、下町などだろうか。たとえば、佃には昭和39年8月に廃止されるまで渡し船があった。昭和56年に描かれた作品には、今では街中で見かけることもなくなった三河萬歳(正月に演じられた伝統芸能)の大夫、桃割れ(日本髪の一種)に結い上げた娘など、風景とともに風俗も描かれ、昭和が遠くなったことを思わせる。同年にもう一枚描かれた佃の渡しの風景の先には今、タワーマンションが並ぶ。

あるいは谷中や根岸、鳥越などといったまちの、当時としたらなんということもない日本家屋なども今はもう無いものの代表だろうか。本郷では明治30年代に建てられた3階建ての木造アパート本郷館や泰明館などといった下宿屋も描かれているが、これらもすでにほとんどが無くなっている。

佃から月島、築地にかけてはよく歩いたという山高氏。多くの作品がある。 /作:山高登氏佃から月島、築地にかけてはよく歩いたという山高氏。多くの作品がある。 /作:山高登氏

今に残る風情を訪ねて歩くという楽しみも

吉原大門の向かいに並ぶ、3軒の老舗。建物の前の木々、周辺は変わったが、店自体は今も変わらず盛業。<画像上>作:山高登氏吉原大門の向かいに並ぶ、3軒の老舗。建物の前の木々、周辺は変わったが、店自体は今も変わらず盛業。<画像上>作:山高登氏

だが、意外に残されている風景もある。本郷でも樋口一葉の井戸が残されている菊坂界隈の風景は山高氏の絵のままだし、上野くらやみ坂もガードレールはできたものの、雰囲気はあまり変わっていない。四ツ谷駅や田園調布駅などの駅、根津教会や駒込富士神社などの寺社仏閣などもほとんど変わりない。

個人的にはその昔の遊廓、吉原の入り口にあたる吉原大門前の飲食店が今も変わりなく盛業しているところに感動した。変わっている東京、変わっていない東京、山高氏の版画、写真を元にまちを歩いて見ると、いろいろな発見ができるかもしれない。

ちなみに2017年6月9日から23日までは千代田区神田神保町にある東京古書会館(東京都千代田区神田小川町3-22)で展覧会が開かれる予定。また、山高氏の作品は「東京昭和百景 山高登木版画集」(発行:シーズ・プラン二ング、発売:星雲社)で、氏の語る昭和の文学史、写真などについては「東京の編集者 山高登さんに話を聞く」(夏葉社)で見ることができる。

2017年 05月28日 11時00分

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